こんにちは。
ギックリ腰から一夜明け、ようやく「かがむ姿勢」ができるまで復活してきました。
きいです。
本日はこの前書いた「民族ファンタジー漫画ができるまで」の続きになります。
現在5話まで更新中の漫画 「民と世界の流れ方」(略してたみせか)に関する創作の裏話などをお話していきます。
目次
きっかけは旅行で感じた民族への「モヤモヤ」
前回終わりの方で、海外を旅行している際に感じた「民族の闇」について少しだけ触れましたが、具体的に書いていこうと思います。
(デリケートな問題のため、具体的な国名・地名に関しては伏せさせてもらいます!)
数年前、●国の▲地域を訪れた時のこと。
そこには国の中でも「少数民族」と呼ばれる人たちが暮らしており、町全体が活気あふれる観光地になっていました。
…ここまで書いてお察しの方もいるかとは思いますが、そうです。
漫画「民と世界の流れ方」に登場する「レト地区」は、この▲地域をモデルにしています。
(1話より)
▲地域の中心部には歴史的建造物が点在し、たくさんのおみやげ物屋さんが立ち並びます。
私のような外国人観光客の姿も多く見受けられました。
そんな異国の観光地の雰囲気にあてられ、テンションマックスで町を散策していた私でしたが、次第にある「違和感」に気付きます。
町の「内側」と「外側」で、雰囲気がまるで違うのです。
町の内側、つまり観光スポットが多く存在するエリアには、「伝統的な」家が多く立ち並んでいるのに対して、外側のエリアには「高層マンション」がひしめいていました。
はっきりと、見えない何かで区切られているような景観の違いでした。
日本でも、京都などは古都の保全のため、意図的に景観に配慮した「伝統的な」建物を建てることがあります。
ですが京都はあくまで「そこに暮らす人」がいて、その上に伝統があって、町が整備されて…といった感じですが、その町はまるで、
「意図的に作られた町に、住人が配置されているよう」
な居心地の悪さを感じたのです。
「観光都市」の裏側
私は現地ガイドさんに町を案内してもらったのですが、聞くところによると、やはり
「国から抑圧されてきた歴史」
が▲地域にはあり、今でも「民族問題」となって大きな影を残しているそうです。
私が違和感を感じた景観の違いに関しては、ガイドさん曰く
「昔は町の中心部や郊外に関わらず、伝統的な建物が多かった」そう。
ですがここ最近、国によって
歴史的建造物といった「観光資源になりそうな建物」は残し、それ以外の建物(郊外にある昔ながらの民家など)はどんどん壊されて高層マンション化が進んでいるとのこと。
結果、観光地とそれ以外で景色がまるで違う、という現象が発生してしまったのです。
…言い方はよろしくないですが、
その話を聞いた瞬間、「観光のために生かされている民族」という言葉が浮かび、これが「たみせか」における「レト族」の元になりました。
(2話より)
「レト地区」では、槍を持った尹国の兵士が町をうろついて住民を監視している、という設定でしたが、▲地域では「銃を持った警察」が同じようなことを行っていました。
「大陸通行証」という「パスポート」
漫画内では、レト族の青年ゼイが、主人公アリアから外国に行くために必要な「大陸通行証」を奪おうとします。
なぜなら、レト族には同通行証の発行が許可されておらず、町から出ることはおろか、外国にも自由に行けないようになっているからです。
(2話より)
…実は、このくだりにもモデルとなったエピソードがあります。
▲地域の観光地にある、おみやげ物屋さんのおじさんがこんな話をしてくれました。
『いつか日本に行ってみたいと思っているが、俺たちはパスポートの発行が許されていないから、外国に行くことができない…』
▲地域では、パスポート発行が制限されている他、外国人と過剰に仲良くなることも禁じられていたのです。(自宅に外国人を招いてはいけない、など)
軽く衝撃を受けましたし、言い表せない「モヤモヤ」を感じました。
一筋縄ではいかない問題
民族問題の難しさは「一筋縄ではいかないこと」だと思います。
つまり、誰が悪い・どちらが悪い、ということでは言えません。
▲地域に例えると、確かにそこに住む少数民族は抑圧され、「観光資源」として扱われているように見えますが、
同時に「観光地化」したことで住民の生活が豊かになったのも事実です。
…先ほどの「郊外の古い家が壊され、続々と高層マンションに変わっていく」の話に戻ります。
校外でサービスエリアを営むおばちゃんの話では、
『伝統的な民家はもろいし、災害にも弱い。政府によって古い民家が解体され、高層マンションに住めるようになるのはとても有り難い』
とのことでした。
私たち観光客からすると
「せっかくの昔ながらのおうちを無残にも壊すなんて!政府ヒドイ!」
となりますが、それはあくまで「観光客」から見た視点でしかありません。
そこに住む人との感覚とは、また別のものです。
「旅人」はあくまで「旅人」
とある写真家の方の著書を読んだ時、こんな言葉がありました。
『――旅人は、あくまでも旅人なのである。』
色々と現地で思うことはあれど、それはあくまで「外の人間」が思うことであって、地元民の感覚とは似て非なるもの…
そんなことを諭してくれるようです。
「たみせか」では主人公のアリアは基本「ちょっと引いた所」にいます。
漫画の主人公なら積極的に問題に立ち向かっていきそうなものですが、彼女はそうしません。
(第3話より)
それはアリアが自分のことを「旅人」だと分かって、わきまえているからです。
『釈然としない気持ちにはなるけど、部外者が無暗に首を突っ込むことじゃない…』
そんな旅で感じたモヤモヤをどうにか表現できないかと、あれこれ考えた結果生まれたのが、「民と世界の流れ方」だったのです。
…はい。(間を空ける)
なんだかとてもまともな話になってしまいましたが、以上が「たみせか」の創作裏話なのでした。
長くなってしまった上にヘビーな話題でしたが、読んで下さってありがとうございます…!
引き続き漫画の方も気にして下さると幸いです。
では、本日はこの辺りで失礼致します!